ぺにろいやるのおにたいじ

ぺにろいやるのおにたいじ
ジョーダン 文
吉田甲子太郎 訳
山中春雄 画
1957.6.1.
1972.12.1.

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ぺにろいやるってどこの子だ? いったいぜんたい、この地球上にこんなにややこしい名前の子どもがいるのだろうか?といつも考えて、引っかかりつつよく読んだ絵本の一つ。

鬼に見えている人も、鬼のような人も、生まれながらの鬼も、ホントは違うんだよ、心の中は違うこともあるから、見かけで判断してはいけないよ、というメッセージなのか、鬼のような人にでも、その強さや怖さに対抗しよう、やっつけようと思うのではなく、普段のありのままの自分で接すれば仲良くなれるよ、と伝えようとしているのか、どちらなのだろうといつも迷うところです。子ども心に、な〜んだ、虚勢張ってただけか(虚勢なんて言葉はまだ知らない頃だけれど)と思ったものです。

お話は、末っ子が実は一番賢くて上手くいきましたとさ…風なものに共通する流れなのだけれど、絵が描きこまれ過ぎず、絵物語もあって、今風に言うなら可愛さもあって見ていて楽しかったのだろうと思います。

おんちょろちよろ

おんちょろちよろ
日本民話
瀬田貞二 再話
梶山俊夫 画
1970.2.1.
1977.3.1.

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おんちょろちよろという言葉のリズム感が楽しい日本民話の再話です。

おんちょろちよろXXX、というなんちゃって念仏をとっさに作り出したなんちゃって小僧さんの機転。その念仏を素直にありがたや、と思い、なんちゃって小僧さんが去ってからも、日々まじめに念仏を唱え続けたおじいさんとあばさんの人の良さが後半の展開の面白さにつながっているとも思います。

絵が完璧なまでに和なのです。建物、風景、服装といった要素だけでなく、人の表情や筆致までが、和。しかも民話が元になっているのだろうなということをわざわざ確認しなくてもよい感じ。恐らく、小学校高学年でこの絵に会っていたら、多分読まなかったかもしれないと思われる雰囲気。大人になった今なら、あ、昔話を表現するべくこんな風合いになったのね、とこれまた面白くもない反応をしただろうと思うのです。

子どもの頃は、念仏だけで悪人たちを退治したその痛快さに惹かれたのだと思います。


もりのおばけ

もりのおばけ
さく・え かたやま けん
1969年11月1日
1972年11月1日

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『もりのおばけ』というタイトルだからか表紙の紙のコーティングがぷちぷちと小さな気泡を全体に作り出し、おばけっぽくなって、ひょえ〜怖いと、内容より本そのものに恐怖心を抱いてしまったものだ。それ以来、発疹を連想させる水玉模様はあまり好きでない。このお話を初めて読んだ頃は、夜の暗さがけっこう怖くて、まだ家族が起きている時間でも、電気のついていない自分の部屋に一人で戻るのは怖かったものだ。夜の暗がりが怖いというのは、けっこう大人になってもあったかも。今は、全然そんなことはなくて、いつ頃から平気になったのか、時間は特にないけれど、まあ、したたかな大人になったということにしておこう。

再読してみて、そうそう、怖かったよね、このお話の展開、という事と、強がっちゃいけない、という教訓じみた事を感じたことを思い出した。そして、木霊(木魂)のことを知ったのもおそらくこの絵本でのこと。恐るべき疑似体験の影響力。

がんばれ さるの さらんくん

がんばれ さるの さらんくん
作 中川 正文
画 長新太
1958年3月1日
1967年11月1日

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話の筋は何となく記憶にあったのだが、文体とか、話の飛び方の激しさの記憶は皆無。読み直してみて、何て急展開の多いお話なのかしらと驚きました。初読書は自力で読んだとは思えないので、読んでくれた人(おそらく母)は何を思ったのだろう、読みなくくはなかっただろうか、私は楽しんでいたのだろうか、といくつもの『あれ?』が頭をよぎります。
動物園の動物たちが楽団を組んで市民に演奏を披露するというお話なのだが、なかなか上手くならない主人公の「さるのさらんくん」と女の子とのつながりも唐突だし、夜中に練習するなら、飼育員さんと秘密の練習にした方が自然だと思うし、怪我をして病院に入った女の子を驚かすために一生懸命練習するという流れも、違う持って行きようがあったのではないかと思うのです。
絵は殆どが引きの絵なので、お話の周辺の出来事が詳しく描かれており、文を読まなくても自由にお話を作り出せるという楽しみは満喫できます。

だれかがぱいをたべにきた

だれかがぱいをたべにきた 
さく 神沢 利子
え  井上​洋介
1970年6月1日

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読み直しをしてみて、あらまあけっこう怖いお話だこと、と子どもの頃に何故平気で、しかも繰り返し読んだのか、読めたのか、不思議に感じてしまった絵本だ。繰り返し読んでいた頃は、結末もわかっていたから読めたのか、その結末が面白いと思っていたのか、と想像するだけなのだが。再読は、あったあった、こういう場面…と思い出しながら、かつての読んだ記憶の足跡を辿るように読み進めたものの、結末を思い出せなかったが故に絵の中に何かヒントはないものか、行きつ戻りつしながら読み直し。つまりは楽しんだということなのだろう。
今さら気になったのは、パイの中身、りんごあたりが無難なのかな。そして、1970年に4歳だった子が、パイが如何なる食べ物なのかわかっていたのかははなはだ疑問。更に、自分がいつパイデビューしたのか、デビュー作は何だったのか、そんなことが気になってしまう再読のひと時。 

くまの子ウーフのお二人による作品だ。

だぶだぶ

だぶだぶ
さく・え なかのひろたか
1970年5月1日発行


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物語が楽しかったというよりも、「だぶだぶ」な服を着させられた男の子が、よれよれしながら歩く姿が羨ましくて、こっそり(自分的にはこっそりでも、たぶん、親は知っていたかと)父親のジャケットを着て真似をしてみた、という記憶がよみがえる絵本です。大人のものを着ることが、大きくなることへの憧れや、大きい人への憧れを抱いていた、というよりも、袖がやたらと長く、裾を引きずるような「だぶだぶ」した、ちょっといつもと違った服装で、遊びに出かけている、ということが羨ましかったのかな、と自己分析しております。一歩外に出るには、階段があって、外に出てもあるのは芝生と植え込みという四角い箱にしか住んだことがないので、一歩外に出たら森とか、川とか、野原という絵本の中の物語に抵抗はないのだけれど、こんなところって本当にあるのかな、と思ってしまうのです。「だぶだぶ」の中の繰り返しは、けっこう好きな発展系の繰り返しです。