やっぱりおおかみ

やっぱりおおかみ
ささきまき さく・え
1973.10.1. 211号

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「け」という文字、音が妙に印象に残る「やっぱりおおかみ」。そう、あなたは、何をしても「やっぱりおおかみ」。だから、どこへ行っても仲間に入れてもらえない。仲間意識が強すぎて、仲間外れを作りたがる。それとも、何をしても「やっぱり」おおかみだから、ちょっと怖がられてしまうのかな。
いわゆる「子ども」を意識した、教育的、道徳的な絵本の場合、誰もが仲良くしなければ、と言いたがるけれど、それはそれで、ちょっと不気味。だって、世の中そんな風にはなっていない。だからと言って、ここまで孤高になれというのも、また、ちょっとすごいこと。仲間に入れてもらえないのなら、それはそれで構わないよ…という「おおかみ」君の生きる姿勢もあっぱれ。一人でもやって行く道はあるよねという気持ちに持っていくための徘徊だったのかな。「おおかみ」君の表情が見えない不気味さと歩き回る街の雰囲気が子ども心に格好良いと感じていたように思います。

クリーナおばさんとカミナリおばさん

クリーナおばさんとカミナリおばさん
西内みなみ さく
堀内誠一 え
1974.5.1. 218号


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どちらも「おばさん」。こういう力強くてしっかりちゃっかり者はおばさんなんですね。

初版で出た時代の東京の夢の島、つまりゴミ集積所のことを連想します。今は人工島になっている夢の島。当時は高度経済成長期で何もかもが行け行けドンドン。今と比較すれば電化製品を始め、あらゆる物体の寿命も短かかったのかもしれず、買い直しの間隔も短かかったのかもしれません。それにしても、ゴミをそのまま放す、という至極大胆でもったいないことをし、且つ、自分たちの生活環境と近未来への見通しもなく世の中の多くの部分が巡っていた時代だったのではないかと思うのです。
そんな時代に、今、自分たちがやっていることはおかしくはないかと警鐘を鳴らし、問題意識を芽生えさせたくて世に出されたのではないかと思います。

こんな風なので、大人目線では、社会派絵本とも捉えられますが、雷さんたちが使えそうな電化製品を持ち帰る、という物語は、かなり愉快です。

わんぱくこぞうとおんなのこ

わんぱくこぞうとおんなのこ
石松 知磨子 さく・え
1974年6月1日 第219号

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男の子に対する、わんぱく、女の子ならおてんば、という言葉、今、日常的に使われている言葉でしょうか。
さて、冒頭部の展開。今ならば、いじめを助長するとか、こんなことがあってはならない、と声高な親たちが放ってはおかないの場面かな、と思ったのですが、そんなことを言っても、絶対にあるのよ、仲間はずれとか、意地悪というのは、いつの時代にも、どこの世界でも。ここで大切なことは、意地悪されている、仲間はずれされている、と感じたときに対抗するための知恵と勇気を如何に持つのか、ということだと思います。加えて、何事もいい塩梅に手加減ができる、ということも大切なことと、とつくづく感じます。どんなことにも限度はあって、経験しないとわからない、ではなく、本能的に感じて判断する、人の動物的な勘を鋭敏に育て、保つことも大切だと思います。また、疑似体験も大切な経験で、本を読んで得た経験もとても大切な要素だと思っているのです。

とうだいのひまわり

とうだいのひまわり
にいざか かずお さく・え
2973年9月1日
210号



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風船で運ばれてきたお手紙付きのひまわりの種から始まるこの絵本。こんなことが私にも起こったら、ちゃんと育てて同じように風船で飛ばしたいと妄想したものです。少し大きくなってから、環境という観点から、風船を飛ばすのはよろしくないことなのだ、という話を聞いたときに、そうなのか、と思ったもののこの絵本のように遠く離れた人と、偶然につながる夢のようなことが起こせないんだな、と残念に感じたものです。
この物語の主人公ともいえるひまわり。小学生の頃に育てたひまわりそのもの。ざらざらした太い茎がぐんぐん背を伸ばし、大輪の花をさかせ、太陽の動きに合わせてその顔を動かすひまわり。学校というところと縁が切れてから、こんな大輪のひまわりを見ることもなくなりました。
そして、灯台。今では灯台無人化で、同様の生活をしている人は少ないと思いますが、島国日本ならではの、海沿いに住むある家族の日常を疑似体験できる大切な作品です。

いちごばたけのちいさなおばあさん

いちごばたけの ちいさなおばあさん
わたりむつこ さく
中谷 千代子 え
1973.5.1. 206号

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大好きな絵本だったはずなのだ。何度も繰り返し読んだという記憶があるので、本当に好きだったのだと思うのだが、惹かれた処はどこたろうと分析しながらの再読となった。
惹かれた理由の筆頭は多分、色。おばあさんが羽織っているカーディガン、掛け布団、そして、紫の色。いちごを赤くするのに欠かせない色の素となる石(岩)の緑。うきうきする色なのだ。
物語で描かれている、いちごの色を作る作業の様子。ここで使う水は雨水や地下水に違いないのだが、それは特別な水に思え、色の素となる土中の石も普通ではないものに違いないと感じながら読んでいたように思うのだ。
岩石を粉砕した緑色の粉は、苔類、地衣類に見えて仕方なく、この見え方は今回も同じ。でも、水に加えてぱっと赤い色が広がるのだから、顆粒状のものであることに間違いはなく、私の妄想は見当外れずれということになる。
これほどまでに好きだったのに、真似したことがないのもまた不思議。