ぽちぽちと改定中です

絵本再読日記。このところ滞っております。
再読感想は、400字以内に収めるという枠組みを決めて始めたのですが、もしかして、もう少し長文にした方がよいのかしら?と迷い始め、書けなくなってしまいました。
少し時を置いて、書き直しから始めようと再読をしてみたところ、400字の中で伝えたいことは、きちんとまとめられているように思い、むしろこれより長くすると、くどくなるというか、間延びするだけかも、という思いに至り、同じ方針で継続しようとやっと落ち着くことができました。読みなおしをしながら、「書きまつがい」を直してみたり、文言を変えてみたりしておりましたが、そろそろ、新しい感想も定期的に上げていこうと思っています。

そんなこんなをしているうちに、林明子さんの原画展『絵本のひきだし 林明子原画展』が全国を巡回するというニュースに触れ、いつ行こう、どこへ出かけようか?とわくわくしております。兵庫県で開催した後、宮城県での開催まで、3か月も空白の時期があるけれど、その間に、関東近辺に来てくれないかしら?などと淡い期待も寄せております。

もりのでんしゃ

もりのでんしゃ
岸田衿子 さく
中谷千代子 え
1961.11.1.
1985.9.1.


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広場や公園に引退した古い車体が置いてあるのと同じように、森の中にぽつんと置いておかれた電車に起こったお話し。その電車は、森に棲む動物たちの貯蔵庫になり、遊び場になり、避難所にもなるのだけれど、大嵐の夜に、夢と現の境界線がなくなって、夜空へと夢の旅へ。
乗り物が登場し、満月の夜を迎えると、人は不思議と空に昇って行くことを夢見るように思います。いったいどうして、こんな風に思うのでしょう。宇宙への憧れ、それとも、『銀河鉄道の夜』の影響?海外の絵本や物語にもこういう発想ってあるのかしら、と他所の国の作品に盛り込まれる要素の特徴というものを探ってみたくもなりました。
今回、この物語の舞台の季節はきっと秋だと思い込んでいる自分に気が付き、本当に秋でいいのか自問自答。表紙絵の色合いから秋の印象が強く、おそらく登場する生き物の言動から、秋と感じ取られた作者が秋色の絵に仕上げたのではないかと結論づけてみました。

おおきなかぶ

おおきなかぶ
内田莉莎子 再話
佐藤忠良 画
1962.5.1.
1973.4.1.

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名作絵本と呼ばれるものが列挙されることがあるならば、必ずリストに入って来るであろう作品の一つがこの「おおきなかぶ」ではないだろうか。あまりにも有名なこの表紙。おじいさんだけで蕪を抜こうと頑張るが抜けなくて、おばあさんが加わって、娘が加わって、犬、ネコ、そして最後にはネズミまで加わってやっとこさっとこ蕪が抜けるのだ。子ども向け作品の必須要素の一つと考えられる、ほぼ同じ内容の文章の繰り返しとそのリズムが心地よい作品だ。ロシアのお話しの再話だが、文章の軽やかさと心地よさは、再話を手がけた内田莉莎子さんのセンスだろう。
気にかかったことが一つ。蕪を直接引っ張っているのはおじいさんだけ。ねこが引っ張っているのは犬、犬がひっぱっているのは孫娘。綱引きをするように、それぞれが蕪を直接引っ張る方が、力が入るのでは、と思ったのだけれど、重箱の隅をつつくようなことは無粋だし、せっかくの文章の面白さも消えますね。

2017.4.24. 改定

ゆうちゃんのみきさーしゃ

ゆうちゃんのみきさーしゃ
村上祐子 さく
片山 健 さ
1968.7.1.
1975.9.1.


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ミキサー車とタンクローリーの違いは何なのだろう、というところから始まった再読。ゆうちゃんが乗るのがミキサー車ということは、常にぐるぐる回し続けないといけない物質がタンクに入っている、もしくは、入るということになる。混ぜることで何かが出来上がるということだ。
お話は、まず、ミキサー車の誕生から始まる。目の前にあるものを何かに見立てるということ、よく遊びの中でやりましたが、そういう誕生の仕方です。愉快なミキサー車が歌を歌うと、ゆうちゃんと共に出発進行。ミキサー車の中に入れるものを探しに出かけるわけですが、森に入って狭い道でとうせんぼ状態になったとき、ミキサー車の歌がおまじないになって、ちゃんと道を通してくれるというところも、楽しいです。森を抜けると、そこは、アイスクリームの材料の宝庫。同じ様にボールで材料を混ぜれば、はちみつアイスクリームができるのではないだろうか、とまじめに考えてしまいました。

ちいさなねこ

ちいさなねこ
石井桃子 さく
横内襄 え
1963.5.1.
1977.5.1.

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描き出されている町、車、男の子等のすべてが子どもの頃にみた風景なのだ。連綿と続く日々の時の流れの中では気付かない変化が、こんな風に突然、ちょっと離れた時代の様子を見せられると、あ、いつの間にかこんなに変わったのか、と懐かしさという感情とともに感じられるのだ。絵本も大切な記録媒体の一つだな、と、既に名作として目にした「作品たち」とは違った感覚でそんなことを意識する。
主人公の子ねこが単体で座っている様子だけで、子ねこということがわかる凄さ。表一と表四で、その子ねこの前面と後姿になっていて、そんな遊び心。本文内の絵では、「ちいさなねこ」の表情、体の動きが、その事柄が起こった瞬間を見事に伝えてくれている。今なら、連続撮影を可能にしたカメラが動きのあるモノの様々な瞬間をとらえ、人の目で見やすい状態にしてくれるけれど、おそらく肉眼で根気よく観察し、捉えたその瞬間の様子をこの作品の中に生かしたのだろう。

たろうのともだち

たろうのともだち
村山桂子 さく
堀内誠一 え
1967.4.1.
1977.4.1.

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堀内誠一さんは、絵の担当で、文章は村山桂子さんなのだけれど、「堀内誠一さんの」という冠を付けてしまいたくなる絵本「たろう」シリーズの第二弾作品だ。
ここでは、たろう君が登場するまでは、生物界の常として、当たり前の弱者は強者に従うという構図で、小さいものが大きなものの家来になりながら仲間が増えていくのだけれど、たろう君の登場で、「友だちになるなら仲間になってもいいよ」という言葉で、がらりと雰囲気が変わるのだ。お友だちって強弱の関係ではなく、仲良くするものなのだ、ということが。
何よりすごいなと思うのは、絵。登場する生き物が好んで生息する場所等を表現するときは、背景までもがっちりと描き込まれていて情景描写もしており、反対に生き物たちの出会いの場面は、背景の書き込みはなく、会話の緊張感まで伝わってくるというメリハリ。表紙と本文の色合いの違い。文章を読まず、絵を追うだけで物語が伝わってくるという凄さ。

こどものとも 60周年記念

たぶん、大人が期待することそのものが無理があることだと思うのだけれど、今年いろいろ企画されている「こどものとも」創刊60周年記念のいろいろなイベント。かつて「こどものとも」が大好きだった、そして、今でも大好きな大人だけでも参加できるイベントがなくてとっても残念。大人は、自分でいろいろ楽しんでね、というメッセージだと勝手に妄想して、ここでこうして、再読感想を書いております。

久しぶりに福音館書店さんのHPを確認に行ったら「こどものとも60周年記念」企画でまた新しい楽しいものがHP上でオープンしていました。

その1)「こどものとも図書館」 

生年月を入れると、年長さんのときに読んでいたはずの「こどものとも」一年分が出てくるという仕組み。
早速検索してみたところ、翌年度の年代の子たちが年長さんのときに読んだ絵本が出て来ました。早生まれ月のことは、どうも考慮できていないようです。

その2)こどものとも診断

今の子どもたちに、年代別といくつかの質問で、おすすめ「こどものとも」が紹介されるという仕組み。
昨今のネット上でのXXX診断に影響されすぎて、「あなたは、こどものとも絵本で登場したキャラクターなら△△ですよ。」という仕組みなのかと思ったら、全く違いちょっと苦笑い。毒されすぎてます、世の中に。
絵本を手に取ってもらえるように、という仕組みなのですから…
でも、子ども年代向きではない、大人のあなたが今読むときっと楽しめる「こどものとも」はこれ…という仕組みも用意しておいてくれると面白かったな。

こどものとも創刊60周年記念HPは、こちらです。

そらいろのたね

そらいろのたね
なかがわえりこ さく
おおむらゆりこ え
1964.4.1.
1973.4.1.

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びっくりするほど恐ろしい終わり方をするお話しである。「そらいろのたね」から空色のお家が出てきて、ずんずんと大きくなって、小動物から大きな動物、お友だちまでみんな入って遊ぶことができるような大きさにまで成長する。この辺りは、次はどれだか大きくなって、誰が入れるようになるのかな…と期待させる展開。この過程は楽しいし、面白い。でも、強欲になるべからず、夢のような時間は永遠には続かない、という世の理を見せつけるようなとっても衝撃的にしめくくられる。子どもの頃に読んでいたときは、恐ろしいなどとは全く感じなかったのに、今回はどういうわけか、とても恐ろしい内容だと感じてしまったのです。大人になって、社会にもまれて、周囲に巧く合わせながら生きていくことの難しさを心の底から感じるようになってしまったからなのでしょうか。
「そらいろのたね」をお庭に植えて、お家の芽がぴょこんっと出るところなど、見てみたかったな。

やっぱりおおかみ

やっぱりおおかみ
ささきまき さく・え
1973.10.1. 211号

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「け」という文字、音が妙に印象に残る「やっぱりおおかみ」。そう、あなたは、何をしても「やっぱりおおかみ」。だから、どこへ行っても仲間に入れてもらえない。仲間意識が強すぎて、仲間外れを作りたがる。それとも、何をしても「やっぱり」おおかみだから、ちょっと怖がられてしまうのかな。
いわゆる「子ども」を意識した、教育的、道徳的な絵本の場合、誰もが仲良くしなければ、と言いたがるけれど、それはそれで、ちょっと不気味。だって、世の中そんな風にはなっていない。だからと言って、ここまで孤高になれというのも、また、ちょっとすごいこと。仲間に入れてもらえないのなら、それはそれで構わないよ…という「おおかみ」君の生きる姿勢もあっぱれ。一人でもやって行く道はあるよねという気持ちに持っていくための徘徊だったのかな。「おおかみ」君の表情が見えない不気味さと歩き回る街の雰囲気が子ども心に格好良いと感じていたように思います。

びんぼうこびと

びんぼうこびと
ウクライナ民話
内田莉莎子 再話
太田大八 画
178号


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家や蔵には、守り神的に精霊とか小人たちがいるのだろうし、身近なところに生息していてほしいなと思いながら日々暮らしております。このようなお話は、おそらく世界各国どこにでもあって、お話が発生したきっかけは、たとえ人様の目がなかったとしても、どこかで何かが必ず見守っているよ、または、監視されているよという。励ましあるいは戒めを伝えているように思います。

「びんぼうこびと」の場合は、一生懸命働く家族だからこそあまりにも居心地が良くて、居着いてしまった「びんぼうこびと」なのだろうな、と思われます。こびとが“貧乏”なのではなくて、住み着いた一家を貧乏にしてしまうこびとたち。一生懸命に働く家族にとってははた迷惑。でも、腐らずに働き続けているところもすごいことだな、と。人は、結局、何かに一生懸命な人は、どんな状況に置かれてもきっとずっと熱心であり続けるというのが定石なのかな、と考えたくなるようなお話しです。