たろうのともだち

たろうのともだち
村山桂子 さく
堀内誠一 え
1967.4.1.
1977.4.1.

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堀内誠一さんは、絵の担当で、文章は村山桂子さんなのだけれど、「堀内誠一さんの」という冠を付けてしまいたくなる絵本「たろう」シリーズの第二弾作品だ。
ここでは、たろう君が登場するまでは、生物界の常として、当たり前の弱者は強者に従うという構図で、小さいものが大きなものの家来になりながら仲間が増えていくのだけれど、たろう君の登場で、「友だちになるなら仲間になってもいいよ」という言葉で、がらりと雰囲気が変わるのだ。お友だちって強弱の関係ではなく、仲良くするものなのだ、ということが。
何よりすごいなと思うのは、絵。登場する生き物が好んで生息する場所等を表現するときは、背景までもがっちりと描き込まれていて情景描写もしており、反対に生き物たちの出会いの場面は、背景の書き込みはなく、会話の緊張感まで伝わってくるというメリハリ。表紙と本文の色合いの違い。文章を読まず、絵を追うだけで物語が伝わってくるという凄さ。

こどものとも 60周年記念

たぶん、大人が期待することそのものが無理があることだと思うのだけれど、今年いろいろ企画されている「こどものとも」創刊60周年記念のいろいろなイベント。かつて「こどものとも」が大好きだった、そして、今でも大好きな大人だけでも参加できるイベントがなくてとっても残念。大人は、自分でいろいろ楽しんでね、というメッセージだと勝手に妄想して、ここでこうして、再読感想を書いております。

久しぶりに福音館書店さんのHPを確認に行ったら「こどものとも60周年記念」企画でまた新しい楽しいものがHP上でオープンしていました。

その1)「こどものとも図書館」 

生年月を入れると、年長さんのときに読んでいたはずの「こどものとも」一年分が出てくるという仕組み。
早速検索してみたところ、翌年度の年代の子たちが年長さんのときに読んだ絵本が出て来ました。早生まれ月のことは、どうも考慮できていないようです。

その2)こどものとも診断

今の子どもたちに、年代別といくつかの質問で、おすすめ「こどものとも」が紹介されるという仕組み。
昨今のネット上でのXXX診断に影響されすぎて、「あなたは、こどものとも絵本で登場したキャラクターなら△△ですよ。」という仕組みなのかと思ったら、全く違いちょっと苦笑い。毒されすぎてます、世の中に。
絵本を手に取ってもらえるように、という仕組みなのですから…
でも、子ども年代向きではない、大人のあなたが今読むときっと楽しめる「こどものとも」はこれ…という仕組みも用意しておいてくれると面白かったな。

こどものとも創刊60周年記念HPは、こちらです。

そらいろのたね

そらいろのたね
なかがわえりこ さく
おおむらゆりこ え
1964.4.1.
1973.4.1.

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びっくりするほど恐ろしい終わり方をするお話しである。「そらいろのたね」から空色のお家が出てきて、ずんずんと大きくなって、小動物から大きな動物、お友だちまでみんな入って遊ぶことができるような大きさにまで成長する。この辺りは、次はどれだか大きくなって、誰が入れるようになるのかな…と期待させる展開。この過程は楽しいし、面白い。でも、強欲になるべからず、夢のような時間は永遠には続かない、という世の理を見せつけるようなとっても衝撃的にしめくくられる。子どもの頃に読んでいたときは、恐ろしいなどとは全く感じなかったのに、今回はどういうわけか、とても恐ろしい内容だと感じてしまったのです。大人になって、社会にもまれて、周囲に巧く合わせながら生きていくことの難しさを心の底から感じるようになってしまったからなのでしょうか。
「そらいろのたね」をお庭に植えて、お家の芽がぴょこんっと出るところなど、見てみたかったな。

やっぱりおおかみ

やっぱりおおかみ
ささきまき さく・え
1973.10.1. 211号

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「け」という文字、音が妙に印象に残る「やっぱりおおかみ」。そう、あなたは、何をしても「やっぱりおおかみ」。だから、どこへ行っても仲間に入れてもらえない。仲間意識が強すぎて、仲間外れを作りたがる。それとも、何をしても「やっぱり」おおかみだから、ちょっと怖がられてしまうのかな。
いわゆる「子ども」を意識した、教育的、道徳的な絵本の場合、誰もが仲良くしなければ、と言いたがるけれど、それはそれで、ちょっと不気味。だって、世の中そんな風にはなっていない。だからと言って、ここまで孤高になれというのも、また、ちょっとすごいこと。仲間に入れてもらえないのなら、それはそれで構わないよ…という「おおかみ」君の生きる姿勢もあっぱれ。一人でもやって行く道はあるよねという気持ちに持っていくための徘徊だったのかな。「おおかみ」君の表情が見えない不気味さと歩き回る街の雰囲気が子ども心に格好良いと感じていたように思います。

びんぼうこびと

びんぼうこびと
ウクライナ民話
内田莉莎子 再話
太田大八 画
178号


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家や蔵には、守り神的に精霊とか小人たちがいるのだろうし、身近なところに生息していてほしいなと思いながら日々暮らしております。このようなお話は、おそらく世界各国どこにでもあって、お話が発生したきっかけは、たとえ人様の目がなかったとしても、どこかで何かが必ず見守っているよ、または、監視されているよという。励ましあるいは戒めを伝えているように思います。

「びんぼうこびと」の場合は、一生懸命働く家族だからこそあまりにも居心地が良くて、居着いてしまった「びんぼうこびと」なのだろうな、と思われます。こびとが“貧乏”なのではなくて、住み着いた一家を貧乏にしてしまうこびとたち。一生懸命に働く家族にとってははた迷惑。でも、腐らずに働き続けているところもすごいことだな、と。人は、結局、何かに一生懸命な人は、どんな状況に置かれてもきっとずっと熱心であり続けるというのが定石なのかな、と考えたくなるようなお話しです。

うしかた と やまうば

うしかた と やまうば
瀬田貞二 再話
関野準一郎 画
1972.2.1. 191号


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再話である。語り継がれたものにいくつかのパターンがあって、『こどものとも版』として、ページ数とかおどろおどろしさの度合いとかを調整されているはずで、多くの人の目に触れれば触れるほど、この内容が普及版になっていくのかと思うと、これまた不思議に思います。こんな風に、伝承されて伝えられて来たお話の数々。これから先、口頭伝承で後世に残ることは、あるのだろうか?と考えるにつけ、記憶や記録に残す手段方法が開発されればされるほど、人から人へ、バトンをつなげるように、引き継がれるものは少なくなっていくのではないかと感じます。

母国語以外の言葉を学べ!学ぼう!学ばねば!と熱心になるのは良いけれど、語り継ぎも等しく大切なことだと思うのです。
脳の記憶装置と容量を一生涯で活用する量は、未使用部分に比べると圧倒的に少ないときいたことはあるので、多言語を学び脳をフル活用してもまだまだ口承伝承の可能性あると思うのです。

クリーナおばさんとカミナリおばさん

クリーナおばさんとカミナリおばさん
西内みなみ さく
堀内誠一 え
1974.5.1. 218号


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どちらも「おばさん」。こういう力強くてしっかりちゃっかり者はおばさんなんですね。

初版で出た時代の東京の夢の島、つまりゴミ集積所のことを連想します。今は人工島になっている夢の島。当時は高度経済成長期で何もかもが行け行けドンドン。今と比較すれば電化製品を始め、あらゆる物体の寿命も短かかったのかもしれず、買い直しの間隔も短かかったのかもしれません。それにしても、ゴミをそのまま放す、という至極大胆でもったいないことをし、且つ、自分たちの生活環境と近未来への見通しもなく世の中の多くの部分が巡っていた時代だったのではないかと思うのです。
そんな時代に、今、自分たちがやっていることはおかしくはないかと警鐘を鳴らし、問題意識を芽生えさせたくて世に出されたのではないかと思います。

こんな風なので、大人目線では、社会派絵本とも捉えられますが、雷さんたちが使えそうな電化製品を持ち帰る、という物語は、かなり愉快です。

わんぱくこぞうとおんなのこ

わんぱくこぞうとおんなのこ
石松 知磨子 さく・え
1974年6月1日 第219号

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男の子に対する、わんぱく、女の子ならおてんば、という言葉、今、日常的に使われている言葉でしょうか。
さて、冒頭部の展開。今ならば、いじめを助長するとか、こんなことがあってはならない、と声高な親たちが放ってはおかないの場面かな、と思ったのですが、そんなことを言っても、絶対にあるのよ、仲間はずれとか、意地悪というのは、いつの時代にも、どこの世界でも。ここで大切なことは、意地悪されている、仲間はずれされている、と感じたときに対抗するための知恵と勇気を如何に持つのか、ということだと思います。加えて、何事もいい塩梅に手加減ができる、ということも大切なことと、とつくづく感じます。どんなことにも限度はあって、経験しないとわからない、ではなく、本能的に感じて判断する、人の動物的な勘を鋭敏に育て、保つことも大切だと思います。また、疑似体験も大切な経験で、本を読んで得た経験もとても大切な要素だと思っているのです。

かばくんのふね

かばくんのふね
岸田衿子 さく
中谷千代子 え
1964.5.1./1973.7.1.


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このかば君。親子なのだろうけれど、「かば君」と言っているからには、お父さんカバとちびカバ君なのかな、そうあってほしいなと思っております。
今回は、雨が続いて動物園が洪水になって(たぶん、街も洪水になっていて)、水の中でも「泳げる」かばくんに乗せてもらおうといろいろな生き物たちがやってきて、優しいかばくんは、船になってあげるのだけれど、きりんの子まで乗せてあげるのは、ちょっと無理があるように思っていて、いつもしっくりこないのです。
それにしても、雨の強さや水の増え方、溜まり具合がその時の雨雲が出ていて陽の光がさえぎられているという光の加減の表現は、絵のすごさを感じさせてもらっています。
カバ君親子が水の中をひょいひょいと泳ぐ水面下の様子まで見られる場面があって、洪水だ、たいへんだ、という危機感は感じられないのだけれど、やさしいカバ君、頑張っていますという状況はきちんと伝わって来て好きなところです。

ふしぎなさーかす

ふしぎなさーかす
安野光雅 さく・え
1971年7月1日 第184号

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『こどものとも』で安野光雅さん作品というと“不思議絵”の人。なんとなく不思議。なんとなく違和感。ぱっと見は普通で特に抵抗はなし、でも、あれ?と思って見直すとじっと注視になってしまい、ページをめくっても前のページの絵の不思議が気になって、また戻る、の繰り返し。
『ふしぎなさーかす』は、サーカスという現実の世界でも見ても夢のような時間になる空間を、夢の世界で、その開幕前と開催中、終演後で絵比べをする、あらまあ、何々、ちょっと待て、という仕掛けがいっぱい。サーカスで必ずあるお決まりの演目が、本来ならそれだけでも驚きの演目のはずなのに、もう一捻り入っていて、油断大敵、ぼやぼやしていられません。
今日は、いつもと様子が違うのか、団員たちも、バックヤードから人を呼んできて、慌てている様子。案内役の道化師が、かなりいい味を出していて、演目内容を熟知しているはずなのに、どぎまぎしているようにも見受けられます。