ねむりむし じらぁ

ねむりむし じらぁ
沖縄民話
川平朝申 再話
儀間比呂志 版画
1970年11月1日 176号


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登場人物の顔、見慣れない街の景色、絵の輪郭の力強さ、そして、タイトル「ねむりむし じらぁ」と、主人公の名前、何もかもが濃くて、むしろ、怖いという気持ちを抱いて接していた絵本なのだけれど、何故か魅かれてもいたのだということに読みなおして気が付いた。絵の輪郭の線が力強く感じるのは、木版画によるものだということを意識できるようになったのは、大人になってから。
子どもの頃、繰り返し読むほど魅かれていたのは、主人公じらぁの、いつでも、いつまでたっても、ぐだぐだと眠っている「ねむりむし」ぶりがうらやましくて。そして、ちょっとずるいと思えるような知恵がある人だったから。一方で自分の望みがかなってから、とても働き者の青年になったから。何故、そんなに変わったのか、という理由は二の次で、だらだら、ぐうたらしていても、いざというときにシャキッと変われば格好が良く見えるものだ、と感じていたのかも。夜の場面は特に好き。


とうだいのひまわり

とうだいのひまわり
にいざか かずお さく・え
1973年9月1日
210号



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風船で運ばれてきたお手紙付きのひまわりの種から始まるこの絵本。こんなことが私にも起こったら、ちゃんと育てて同じように風船で飛ばしたいと妄想したものです。少し大きくなってから、環境という観点から、風船を飛ばすのはよろしくないことなのだ、という話を聞いたときに、そうなのか、と思ったもののこの絵本のように遠く離れた人と、偶然につながる夢のようなことが起こせないんだな、と残念に感じたものです。
この物語の主人公ともいえるひまわり。小学生の頃に育てたひまわりそのもの。ざらざらした太い茎がぐんぐん背を伸ばし、大輪の花をさかせ、太陽の動きに合わせてその顔を動かすひまわり。学校というところと縁が切れてから、こんな大輪のひまわりを見ることもなくなりました。
そして、灯台。今では灯台無人化で、同様の生活をしている人は少ないと思いますが、島国日本ならではの、海沿いに住むある家族の日常を疑似体験できる大切な作品です。

おおさむ こさむ

おおさむ こさむ
わらべうた
瀬川康男 画
1972.1.1. 190号


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「さよならさんかく」との遭遇は、この絵本だったのか、学校だったのか定かではないのだが、連想ゲーム式につながる歌詞とリズムの面白さに加えて、最後の一文「でんきは、ひかる。ひかるはおやじの…」がわけもなく面白く、大きな声で歌いながら遊んでいた。寿限無寿限無…を唱えるのと同じような面白さがあるのだ。
わらべ歌なので、音程とリズムがあると思うのだが、この絵本に収められている歌の中で、他に知っているのは、二つしかなく、知らないものは言葉の抑揚と刻むリズムで楽しもうと思うのだが、創造力不足なのか巧く乗れないのだ。これが、定型の短歌や俳句とは違うところなのかもしれない。
それにしても、瀬川康男さんの絵は、ふり幅が広いと思うのだ。「ばけくらべ」や「こしおれすずめ」と同様、和の雰囲気が色濃く出ていることを除き、同じ人の作品だと気づいて正直驚いてしまったくらいなのだ。物語をつなぐ絵と歌のための挿絵の違いだろうか。

ゆうこのあさごはん

ゆうこのあさごはん
やまわき ゆりこ さく・え
1971.10.1. 187号

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この作品が山脇百合子さんの作品であることを全く意識しておりませんでした。久しぶりに手に取って、あれ、この絵は、「ぐりとぐら」と同じだ、と思って表紙をじっとみてしまいました。お話も記憶から呼び起こすのに多少時間がかかり、徐々に思い出すという感じとなりました。
主人公、ゆうこの朝食が、パンに牛乳、チーズ、そしてゆで卵というくだりを読んで、パンが朝食の場合は、必ずイチゴジャムを塗っていたはずだった私は、どんな風に思ったのだろうと不思議でした。でも、こんな風な魔法を使って小さくなったり大きくなったりして、ちょっとした冒険に出られたら、どんなに楽しいだろうと羨ましく思ったことは間違いありません。
そして、一番うらやましかったのは、ゆうこの家の周りの風景。お話し後半に出てくる空を飛んで遠出をする場面。バートン作の「ちいさいおうち」が心静かに立っている、あの風景をほうふつとさせる緑がいっぱいの場所なのです。

いちごばたけのちいさなおばあさん

いちごばたけの ちいさなおばあさん
わたりむつこ さく
中谷 千代子 え
1973.5.1. 206号

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大好きな絵本だったはずなのだ。何度も繰り返し読んだという記憶があるので、本当に好きだったのだと思うのだが、惹かれた処はどこたろうと分析しながらの再読となった。
惹かれた理由の筆頭は多分、色。おばあさんが羽織っているカーディガン、掛け布団、そして、紫の色。いちごを赤くするのに欠かせない色の素となる石(岩)の緑。うきうきする色なのだ。
物語で描かれている、いちごの色を作る作業の様子。ここで使う水は雨水や地下水に違いないのだが、それは特別な水に思え、色の素となる土中の石も普通ではないものに違いないと感じながら読んでいたように思うのだ。
岩石を粉砕した緑色の粉は、苔類、地衣類に見えて仕方なく、この見え方は今回も同じ。でも、水に加えてぱっと赤い色が広がるのだから、顆粒状のものであることに間違いはなく、私の妄想は見当外れずれということになる。
これほどまでに好きだったのに、真似したことがないのもまた不思議。

たなばたまつり

たなばたまつり
熊谷元一 さく・え
1970年7月1日 172号

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七夕祭りってこんな風に準備するものなんだ、と憧れを持って読んだ絵本です。この絵本に初めて出会ったのは、幼稚園生の頃。当時住んでいた地域には、まだたくさん畑もあり、畑のいく畝かには、里芋の大きな葉っぱを見ることが出来ました。小学校に上がってからも、七夕の季節が近づくと、里芋の葉に溜まった露を使った墨で文字を書いてみたいと思ったものです。当時、大人に相談して、ちゃんと希望を叶えさせてもらえばよかったと今更思ったりしています。

絵本の中で描かれている風景は、小学生の頃、夏休みになると体験させてもらっていた、子ども村キャンプなどで滞在したような場所を彷彿させるものなのです。家に縁側や庭があり、近くに竹やぶもあり、川が流れている、という日本の原風景は、私にとっては特別な情景で、これから先もこういう風景の中で日常を過ごせることになることはないはずで、絵本を通じた日本体験がとても大切だと感じる一冊です。

るるの だんじょうび 

るるの たんじょうび
征矢 清 さく
中谷 千代子 え
1971年4月1日発行 第181号


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ピンクが背景のこの表紙と、主人公の女の子が、子ねこの「るる」のお誕生日プレゼントに歌を歌ってみんなに喜ばれたことが強く印象に残っていた絵本。「いちごばたけのちいさなおばあさん」と同じ中谷千代子さんが絵を手掛けた作品。
 お祝いの気持ちは、品物でなくても、気持ちを伝える方法ってあるんだ、ということを、無自覚に自覚できるようになったのは、おそらくこの作品を読んだから。他にも、動物たちと会話ができることや、こんな風に、彼らの集いに参加できていることをちょっとうらやましさも感じていたのではないかなと思います。
今回、久しぶりに絵本を手に取って、この本って、男の子も何も考えずに手に取る本なのかな、と気になりました。本来、絵本に男の子向けも女の子向けもないはずだけれど、主人公が女の子の絵本って、どうなのかなって。男の子が主人公の絵本の場合、少なくとも私は、何も考えずに自然に手に取って読んでいたけれど。

しょうぼうじどうしゃじぷた

しょうぼうじどうしゃじぷた 
渡辺茂男 さく
山本忠敬 え 
1963.10.1./1973.5.1.

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おそらく生まれて初めて興味を持ち、乗り物が登場する楽しい絵本と感じた絵本「しょうぼうじどうしゃじぷた」。現代の消防車や救急車とお顔の部分は違うのだが、この作品の絵を見るたびに、働く車の格好良さを感じるのだ。そして、この絵本から思い出すのが、小学校の写生大会。地域の消防署からはしご車とポンプ車が救急車と共にやって来て、全校生徒が写生をしたのだ。絵を描くことに苦手意識があったので、一番簡単だと思った救急車を選んだのだ。消防車は、細かく描き込まなければならない部分がたくさんあるから難しいと思ったのだが、救急車もそうとう難しい写生対象だった。何しろ、救急車は、画用紙の色と同じボディのメインが白である。白色のクレヨンで塗ることしか知らない子どもにとってはどうすればいいのやら、なのである。この絵本に出会ってから、いつかどこかで実物の「じぷた」に出会える日を楽しみにしているのだが、まだ、実現していない。

たからさがし

たからさがし 
なかがわりえこ さく
おおむらゆりこ え
1964.11.1./1973.8.1.



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一人遊びを良くしていました。そして、一人遊びのときは、家にいるお友だちたちがよく話しかけてくれました。この絵本のゆうじ君のように、動物のお友だちがいればもっと面白かったなと思いますが、ぬいぐるみのお友だちたちが一緒に遊んでくれました。
さて、この絵本。ゆうじ君は、うさぎのギックと宝物を巡っていろいろ競争するわけですが、かけっこと相撲で競い合うのは理解できるとして、幅跳びで競争というくだりは驚きました。ギックはうさぎなのですから、ホップステップジャンプとか言って、簡単に決着がつきそうではないですか。ところが、それでも勝負がつかなくて、知恵袋のギックのおばあちゃまのところへ行って決着をつける方法を考えてもらうわけですが、このおばあちゃまの住んでいるお家が可愛らしいのです。最後に出てくるおやつがビスケットに紅茶(たぶん)というのもよく考えると不思議ですよね。何故、かりんとうではいけないのかな、と。

おおきくなるの

おおきくなるの 
ほりうちせいいち さく・え 
1964.6.1.
1975.5.1.


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お誕生日のケーキのろうそくの数のくだりが好き。「わたしはみっつ。」おばあさんのおたんじょうびには「とてもたくさん」ってね。いつもなら、目の敵にしてしまうケムシも、こんな愛嬌のある笑顔で、しかもこんなカラフルなチョウになるのなら少しくらいお花の葉っぱを食べてもいいよっていう気持ちになるかもしれない、なんて殊勝なことを思ったりもします。ただし、実はチョウもあまり好きではないので、本当のところは、そんなこともなかなか思えないのだけれど。
成長して、洋服や靴が身に付けられなくなるということは誰しもが経験していることだけれど、そんな子供時代の経験が大人になっても抜けなくて、毎年洋服を変えたくなるのかしら、と勝手な想像もしています。子どもという時代は、誰もが絶対に通過している年代で、そこでの経験が大きくなるにつれ人生の過ごし方にどれだけ影響を及ぼすのか、と考えれば考えるほど不思議の種は大きくなります。