こぶじいさま

こぶじいさま
日本民話
松居 直 再話
赤羽 末吉 画
1964.1.1.
1974.1.1.


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夜になってお堂に避難したおじいさんが、山奥から現れた鬼たちを見てびくびく様子を伺っているときは、自分もびくびく。鬼たちと楽しむところは、うぉ、すごいなあと思ったものです。おじいさんの額のこぶが厄介ものだと思っていたということに初めて気づいたように思います。ま、確かにこぶがおでこにあったら厄介だとは思いますが、物語は「ひたいに大きなこぶのある、じいさまがいました。」と淡々と始まっているのですから。鬼にこぶを取られたおじいさん。鬼は、明日の晩も来させるつもりで大切なこぶを取ったわけですが、肝心のおじいさんは、約束を守るはずもなく、同じようにこぶに悩む、隣のおじいさんが翌日の晩にのこのこ出かけて行くことに。お話しとしては面白いけれど、いいのかそれで!?と思ったのは確か。難しかったのは「鬼踊り」のあのお歌。リズムがなかなかうまく刻めなくて、何度も読んでやっと納得のリズムで読めるようになりました。

かさもっておむかえ

かさもっておむかえ
征矢清 さく
長新太 え
1969.10.1.
1976.6.1.


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降水確率などという数値が発表されるようになる前は、天気予報が思わぬ方向に転がって夕方から雨ということはよくあったことではないだろうか。でも急な天気の変化を不便に思ったことはなく、雨が降ってきたら「傘を持ってお迎えに行く」のが当たり前だったはずだ。毎日、ほぼ決まった時間に帰ってくる父親たちを迎えに駅や最寄りのバス停まで行ったという経験がある人は多いと思う。私も何回か最寄りのバス停まで迎えに行った経験があり、待った場所の記憶もぼんやりと残っている。この傘を持ってのお迎えがけっこう楽しかったりするのだ。その他、この作品では、動物専用車両があるという件が子どもの頃は羨ましくて仕方なかった。そして、今回、読みながらはらはらしたのは、駅前で待っていたのに、なかなか帰ってこないお父さんのことが待ち切れず、ネコの案内で乗換駅まで移動し始めたところ。お父さんと行き違いになってしまう、と本当にどきどきしたのだ。

たろうのおでかけ

たろうのおでかけ
村山桂子 さく
堀内誠一 え
1963.4.1.
1974.4.1.

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「たろう」シリーズの1冊でお友だち(しかも、女の子)のお誕生会へお呼ばれした「たろう」君がプレゼントを持ってお友だち(というか、仲間)と一緒にとことこ歩いてお出かけするというお話し。持って行くモノの一つがアイスクリームで、お友だちのお家に到着するまではらはらどきどきしました。「あんまり時間がかかりすぎたので、溶けてしまいました」という一文が途中で出てくるのではないかと思って。
こんな難儀なプレゼントを持っているので、たろうは、気がせいて、あらゆる道をショートカットしたかったのだけれど、そのたびに、大人たちに「だめ だめ だめ」と声をかけられ、安全に行ける道に戻るわけです。確かに、横断歩道のないところや、信号が赤に変わる直前に渡るというのは危険だし、よろしくないことですが、みなに「だめ だめ だめ」って言われ続け、「だめ」という言葉が繰り返されるので、その点ちょっと最後のほうでくたびれてしまいました。

もりのむしとのはらのむし

もりのむしとのはらのむし
三芳 悌吉 さく・え
中根 猛彦 監修
1966.8.1.
1976.8.1.


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子どもの頃、子ども向けのカラー図鑑が書棚にあったのだが、昆虫や食虫植物のページが触れなくて、そのページが来ると2・3ページ飛ばしてめくっていた。そんな経験があることから恐らくこの絵本はまともに読んでいなかったのではないかと思われる。
今回も必要以上に拡大された絵が、突如開いたページに現れないかとどきどきしながら読み進め、最後まで無事にたどり着きほっとした。
図鑑ではないが、虫については、かなり緻密に描かれた絵であろうと思われ、生き物に興味がある子なら、文章よりも絵の方に注目して繰り返し読む絵本になっていたはずだ。もちろん、自分目線のお話も流れていて、越冬した虫たちのことも描かれている。
さて、私と言えば、今でも昆虫は苦手なのだが、生き物として興味を持つことができるようになったのは「ファーブル昆虫と暮らして」を読んでから。苦手意識が薄らぎ生き物たちの行動に興味を抱けるようにさせてくれた大切な本だ。

てつたくんのじどうしゃ

てつたくんのじどうしゃ
わたなべ しげお さく
ほりうち せいいち え
1969.10.1.
1874.9.1.



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こんな車があったらいいな。こんな風に車を自分で組み立てることができたらいいな。そんな風に思わせくれる、単純だけれど楽しいお話しで、こんな風に自分で組み立てたモノで移動できるなんて、ちょっとうらやましいとさえ思います。この本も絵本ならではの楽しみがあって、文章だけでは、その楽しさはおそらく半減。絵に使われている十二色色鉛筆に入っている色だけを使っていると思われる色の組み合わせと、部品たちの七変化する表情が楽しさを倍増してくれているように感じます。
堀内誠一さんのイラストだから、楽しいのは当然でしょう、という勝手で大人視点なものの見方ではなく、読み手の心を引き込む絵と色使いだから子供の頃も、大人になってからも魅かれるのだろうと感じます。そして、最後に「てつたくん」がいなくては困る事態も用意されていて、きちんとお話が完結しています。
ところで、最近のこういうキャップを被っている子いなくなりましたね。

まいごのちろ

まいごのちろ
中谷千代子 さく・え
1965.3.1.
1983.3.1.


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子どもの頃、野良犬をよく見かけたものだ。子ども目線で、大きいと感じることが多かったし、苦手=怖いので逃げたくて、おどおどすると逆に近づかれ、時には追いかけられるということもあって、恐怖心ばかりを持っていた。いつの間にか野良犬たちを見なくなり安心して歩けるようになったけれど、ペットとして飼う犬が大型犬である時期もあり、それはそれで意外と怖かった。そして、今は、手乗りと思えるほどの小型犬を連れている人が多い。ペットにも流行があるってどういうことなのだろう、と思うこともしばしばだ。
さて、この「ちろ」。ひょんなことから迷子になり、不安な思いを抱えつつ、飼い主の家まで無事に帰るというお話し。ちゃんと戻れるかな、とかなりドキドキさせられたが、人間社会に交流があるように、犬たちも地元の事情は把握している、という点が面白い。
ところで、子どもの頃に見かけた野良犬たち、もしかして、みな迷子犬だったのだろうか?

どうなが ダック

どうながダック
永田 力 さく・え
1966.5.1.
1974.11.1.

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怖くないかな、この表紙絵。目が白抜き。表紙絵だけをじっと見ると怖く感じます。お話に出てくる生き物はどれもが目が白い。表情もけっこうむっとしている感じ。実のところ、にこにこ笑っている動物なんて存在しないのだろうから、ここで描かれている動物たちの表情が、本来の姿なのかも。
この作品、今の世の中であれば、「いじめを題材にしていてよくない。」などと言われそうな内容です。そういう感想を持つ私自身、昨今の「いじめはよくありません。」狂騒に悔しいかな気持ちが踊らされているように思えます。小さいもの、弱気ものが大きなもの、強気ものから圧力をかけられる。これは、力関係というものが存在する社会では致し方ないこと。圧力をかけられた小さいものが、毅然と立ち向かってその対処法を考えなさい、そして、ずるい輩は必ずいるけれど、勇気を出して対処すれば、よい方へ向くはず、ということを伝えたかったのかな。かなり、道徳的な作品だ。


へそもち

へそもち
渡辺茂男 さく
赤羽末吉 え
1966.8.1.
1977.8.1.

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「雷が鳴っているときにおへそを隠しなさい」と言われた記憶がある。昨今言われる、ゲリラ豪雨とは全く違う降り方ではあるが、夏の夕方には、雷がごろごろと鳴り始めると、そのうち夕立がやってきて、夕立がやってくると、そのあとは、夕涼みが楽しめて、浴衣に着替え、ひと時、花火を楽しむ時間になったものだ。夕立があった日には、夜が少し涼しかったということも覚えている。
こんなことを言われた理由を想像すると、お昼寝をしている時間帯が、雷様がやってくる時間帯と重っていたのだろうか。そして、お腹を出して寝ると冷えるからいけませんよ、というよりも、雷様の恐ろしさに頼った忠告でもあったのかな、と想像する。
それにしても、避雷針の有効性の原点が、この物語にあるお坊さんの機転による発見だったとすれば、お坊さんあっぱれである。気になるのは、へそを取られた人たちに、へそもちをつけてあげて元通りにしてあげたのかどうか、ということ。

くちばし

くちばし
ビアンキ さく
田中かな子 訳
薮内正幸 え
1965.10.1.
1982.3.1.


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鳥のくちばし図鑑と言える絵本です。鳥にはそれぞれ、その鳥の生態に合ったくちばしがあって、くちばしは口という役割だけでなく、餌を取るときなどにうまく道具として使っているのですよ、ということを物語という流れの中に取り込みながら教えてくれています。一番最後があっけなく、そのあっけない一場面では、弱肉強食という自然界の厳しさを伝えるもので、再読だった今回ですら、その場面を見た瞬間はいったい何が起こったのかわからず、理解するのに一瞬立ち止まった感じになりました。そう、冒頭からこの絵本の主人公であった小鳥が猛禽類の大型の鳥にさらわれてしまいます。物語は、昔話にあるであろう手法の一つが使われていて「…というわけで、このテーマの決着はいまだについていないのです」で終わっています。おそらく、この絵本が鳥に興味を持つきっかけになる人もいるのだろうな、という構成。私の場合は、なるほどねと淡々と通過していく感じ。

100ぴきのひつじ

100ぴきのひつじ
小野寺悦子 さく
樋泉雪子 え
1985.10.1.

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表紙絵の中に主人公が隠れていることに今回やっと気が付きました。しかも逆さまから見たときに。
夜、眠れない時にひつじを数えるおまじないは、いつ頃から、そして、何処から始まったものなのでしょう。確かに、あのもふもふしたものに囲まれれば、夢の中にどぼんと埋もれて行きそうではあります。でも、いつも枕に頭を付けると同時に意識が落ちるので、ひつじを数えたことがなく、こんなことが本当に起こるのかどうか試したこともありません。でも、数えた分、ひつじが現れたらきっと楽しいだろうな、と想像するとにんまりしてしまいます。ただ、100匹もいると多すぎてうるさそう。それにこのもふもふ感。真冬ならいざ知らず、真夏には遠慮したいです。ひつじ君たちが現れた後に待っている楽しそうだけれど大変そうな労働を考えると、10匹位が無難な数。そのくらいであれば、年に2回位、こんな夜があっても楽しいのではないかと、期待してしまいます。