だるまちゃんとてんぐちゃん

だるまちゃんとてんぐちゃん
加古里子 さく/え
1967.2.1.
1977.9.1.

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「だるまちゃん」シリーズの1冊で、シリーズの中でも“好き”に分類され、子どもの頃、何回も繰り返して読んだ絵本。今回は、意識的に絵にも目を配り、だるまちゃんのおじいさんであるだるまどんの足にすね毛が生えているのを見つけて声が出るほど驚きました。すね毛に気付いたのが、中盤に差し掛かったところで、わざわざ最初のページまで戻ってだるまどんのお姿をすべて確認いたしました。だるまどんのことは、だるまちゃんとお話ししている場面が多いので、必ず視界に入っていましたが、いつも上半身にしか目が行っていなかったようです。そのほかにもだるまちゃんと妹の手足は白くてぷくぷくして、おもちみたいな感じだったのには気がついていたのに、他のだるまさんたちは、年代によって色合いが違うことも発見。いくつものアイテムが出てくる団扇、履物、帽子そして、“おはな”(花)については、ここまで数をそろえて下さっただるまどんに感謝です。

きかんしゃホブ・ノブ

きかんしゃ ホブ・ノブ
ルース・エインズワース 作
上條由美子 訳
安徳 瑛 画
1985.8.1.


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この絵本を過去に読んだという記憶がない。私の手元にやってきた時期は、奥付にある出版年。すでに学生時代のことなので、買い求め後、本棚に直行していた可能性がある。その時の感性で読んでいれば、また違った思いもあっただろう。なんとももったいないことをしたものだ。そんなわけで、この読書日記を書くのは少々苦労が伴っている。何せ子ども向け絵本特有の「同じことが淡々と繰り返されて」進行するお話しだから飽きるのだ。佳境で子どもたちはここで興奮するのだろうな、と想像に難くない場面がやってくる。
ではなぜ期待を込めて絵本を開けられたのか。それは、この表紙絵と「ホブ・ノブ」という機関車の名前のおかげ。機関車が、ヨーロッパの田園風景にいい感じで溶け込む色合いと形をしていて、ぽわ~っと音を出しながら元気よくゆったりと走る姿と石畳が敷き詰められた駅前広場を抱える街の駅舎に滑り込む姿が脳内で再生できたのだ。絵力凄しである。

ねずみおことわり


ねずみおことわり
中谷幸子 あん
小野かおる さく・え
1965.9.1.
1976.9.1.


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日焼けして真っ黒になった子どもたちや、夕立の場面が盛り込まれているお話しは、小学生の頃、夏休みに通った学校の水泳教室や市営プールのことが思い出される絵本です。子どもの頃に読んでいた時は、ネズミたちがプールの入場料を支払うために使ったビー玉が素敵だなと思っていました。自分の宝物として隠してあるのが揃ってビー玉というところは不思議でしたが、ガラスなのにまん丸で、つるつるしていて、夏にぴったりのビー玉は、ネズミが見ても宝物にするくらい素敵なものなのだな、と思ったものです。そして、今回の読み直しでもその部分が一番好きな場面でした。裸は駄目よと言われ、洋裁のできるネズミさんのところにお邪魔して、自分たち用の海水パンツを仕立てる場面はもう一つの好きな場面。共通しているのは、ネズミが洋服を仕立てるというところだけですが、ピーターラビット・シリーズの「グロースターの仕立て屋」のネズミたちを思い起させます。

ぐるんぱのようちえん

ぐるんぱのようちえん
西内みなみ さく
堀内誠一 え
1965.5.1.
1973.11.1.


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「ぐるんぱ」という名前がすごい。音感だけでなく、ぐるん!っぱ!って動くこともできそうだし、ぞうの名前というところもすごい。そして、絵。ぞうさんって巨大だよ、ということが一目瞭然でわかる表紙絵。巨大だけれど怖くはない。力持ちだろうけれど、優しそうな雰囲気が、絵全体からあふれています。
この絵本が好きになった理由はわかりません。何度でも読みたい、手に取りたいと思うこと、それが、すなわち好きだ、ということしか言えません。
心構えも新たに再読。お、と思ったのは、「しょんぼり」という言葉。行く先々でぐるんぱサイズのモノを作るので「君のことは雇えない」と言われ、すごすごと退散。そのときの様子を表す言葉が「しょんぼり」。「がっかり」だと疲労が蓄積される感じがあるけれど、しょんぼり、だと、淋しいなという気持ちの方が強調されるのかもしれません。何よりの魅力は、しょんぼりが続いた後の、楽しいどんでん返しでしょう。

のろまなローラー

のろまなローラー
小出正吾 さく
山本忠敬 え
1965.8.1.
1974.6.1.

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ローラー自動車が道を整地する姿は、アスファルトを張る作業をしているところを通過するとよく見ましたが、この絵本のように、車が走っている舗装されていない道で活躍していた姿をこの目で見たことがあるのかは記憶が定かではありません。
力持ちというよりも、重量級で圧しが利く、ゆっくりしっかり地表を固める自分の任務に頑なまでに忠実に向き合う、故にのろのろしているように見えるのですよ、という表情をしているように見えます。
再読で気になって仕方がなかったのは、お話しを語るための絵ではなく背景。町並みを見ると、屋根の上にアンテナがあり、小売店が並ぶのが当たり前だった時代に描かれた絵本だということに気付かされました。あの当時、集合住宅でも、建物の上に家の数だけアンテナが林立していました。それがいつの間にか消えて、衛星放送用のお椀型アンテナが各戸のベランダから顔をのぞかせるようになり、今は、ケーブルテレビが普及中。

3びきのこどものひつじ

3びきのこどものひつじ
上沢謙二 さく
なかのひろたか え
1984.4.1.

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「3びき」という表記に目が吸いつきました。漢字を覚えると、1匹、2匹、3匹と書くことが当たり前になりますが、小さい子ども向けだと、1っぴき、2ひき、3びきってなるわけですね。1っぴきで、いっぴきって読めるのかな、いちっぴきと読んでしまわないかな、と考え始めるときりがありません、
言葉が気になりだすと、子ヒツジと言わずに「こどものひつじ」としたところの意図も考えてしまいます。もしかして、「こどものとも」だから「こどものひつじ」としたのだとすると恐ろしく意図的にタイトルが付けられたことになりますね。
肝心のお話に関する感想は無いのです。楽しいとか、お話に入り込めるというような要素がなかったのです。これは、絵が好みではないということが大きく影響していると思います。好き嫌いを言うことに罪悪感すらありますが、好きで力を入れて勧めてしまう作品があるのなら、その逆の作品もあるのは仕方ないなと思っております。

くりひろい

くりひろい
いぇん 大椿 ぶん
蓬田 やすひろ え
1983.10.1.


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「くりひろい」という題名から想像するのは、昔々あるところに、で始まる日本昔話風のお話、それとも、自分の好きな栗を好きなだけ食べられるように栗ひろいに出かけました、という冒険モノ、または、栗売りのおばさんがとある軒先で「美味しい栗を食べたい」と言っている人の声を聞き、とっておきの雑木林まで探しに行きましたという人情話でしょうか。正解は、雑木林に住む小動物が見つけた栗を如何に運び、如何に蓄えるのか、というお話で、「空腹に備えた栗運び」のお話です。
実際の生態の中で、種族の違う小動物がこんなに協力し合うのか、単に人間社会に置き換えて相互協力は大切だということを伝えようとしているとしか思えないのですが、動植物の世界の環境循環を考えれば、顔を合わせて「お手伝いしましょうか?」「ええ、お願いします。」という関係はなくとも、それに近いことは現象として起こっているだろうという想像は難しいことではありません。

こわがりのはしごしゃ

こわがりのはしごしゃ
松野正子 さく
なかのひろたか え
1983.11.1.

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消防署の前を通ったり、消防車を見かけると思い出すのは、小学校のときの写生大会だ。暑いさなか、校庭に救急車にポンプ車、はしご車と数台がやって来て、全校生徒参加の写生大会だったのだ。その日はとてつもなく暑く、何を描いたことは覚えていなくて、下校途中で気分が悪くなって上級生に助けてもらったことだけ覚えている。なので、私にとって消防車=写生大会=気分が悪い&やさしい上級生という構図が出来上がっている。
大人になってから、職場のために防火管理者などという資格を取得することになり、消防署の施設に講習に行ったり、消防訓練で消防士さんたちにお世話になったりすることを重ねているうちに、消防車は再び街を守る頼もしい存在になっている。

消防車の初出動をテーマにしたお話で、緊張のあまり、なかなか初陣が飾れないはしご車のお話です。でも、消防の仕事はそれだけ、大変な仕事なんだよと言うことを伝えたかったのでしょうか。


なみに ばけつを くんだらば

なみに ばけつを くんだらば
川崎 洋 詩
柏村 勲 絵
1983.8.1.


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波をバケツに汲んでしまうと凪いでしまうのに果たしてお話はうまくつながるのだろうか、どんなお話だったかな、と思い返しながら再読。タイトルになった出来事は終盤に登場。楽しい海での1日を家に持ち帰りたくて波をバケツに汲んだのかな、と想像します。

私自身、夏の海で遊んだ記憶は数えるほどしかないのに、夏の海岸の砂の熱さや波が引いて砂を持っていく時に足の裏で感じるあの妙なむずむずするような感覚がしっかりと体で経験した記憶として残っています。絵本を読みながら、足裏から砂がさらわれるあの感覚を思い起こせるのは、こういう絵本での追体験、繰り返し体験の賜物ではないかと思います。

海のきらきら、砂のつぶつぶが細かい点で描かれています。海と浜辺で過ごす夏の1日を追った絵本ゆえ、浜辺で作った砂山や、砂浜をきゅっきゅっと踏みしめるときの砂の動きもこの点描で描きこまれていて、海と砂浜を取り囲む遠景も楽しめる素敵な絵本です。

いそがしいよる

いそがしいよる
さとう わきこ さく・え
1981.9.1.

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横開きのページ全面に物語が描きこまれている絵本だ。とにかくカラフルで見るところがたくさん。ストーリーを追うだけでも楽しいのだけれど、おばあさんの家の中を観察するのも楽しくて、これは素敵なものをお持ちね、なんてちょっと覗き見的楽しみもあります。

こんなに気持ちの良い夜なのだから、家の中で眠るなんてもったいない…から始まったお話。外で快適に過ごすために、あれもこれも、どれもこれも持ち出すことになり、持ち出す作業で時間いっぱい。雨が降ったら困るから、と持ち物全部を覆うテントを張って、外に出た意味はあったのかしら?それはともかく、あらゆるものを外に出す時点で、あれ?と思うこともいくつか。子どもの頃に読んだときにはきっと気になっていなかったこと。レンジは薪で使うのかな?ランプはロウソクなのかな?など。でも、もしかして必要になるかも、が気になって、あれもこれもを用意してしまうその気持ちはよくわかります。