まいごのちろ

まいごのちろ
中谷千代子 さく・え
1965.3.1.
1983.3.1.


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子どもの頃、野良犬をよく見かけたものだ。子ども目線で、大きいと感じることが多かったし、苦手=怖いので逃げたくて、おどおどすると逆に近づかれ、時には追いかけられるということもあって、恐怖心ばかりを持っていた。いつの間にか野良犬たちを見なくなり安心して歩けるようになったけれど、ペットとして飼う犬が大型犬である時期もあり、それはそれで意外と怖かった。そして、今は、手乗りと思えるほどの小型犬を連れている人が多い。ペットにも流行があるってどういうことなのだろう、と思うこともしばしばだ。
さて、この「ちろ」。ひょんなことから迷子になり、不安な思いを抱えつつ、飼い主の家まで無事に帰るというお話し。ちゃんと戻れるかな、とかなりドキドキさせられたが、人間社会に交流があるように、犬たちも地元の事情は把握している、という点が面白い。
ところで、子どもの頃に見かけた野良犬たち、もしかして、みな迷子犬だったのだろうか?

どうなが ダック

どうながダック
永田 力 さく・え
1966.5.1.
1974.11.1.

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怖くないかな、この表紙絵。目が白抜き。表紙絵だけをじっと見ると怖く感じます。お話に出てくる生き物はどれもが目が白い。表情もけっこうむっとしている感じ。実のところ、にこにこ笑っている動物なんて存在しないのだろうから、ここで描かれている動物たちの表情が、本来の姿なのかも。
この作品、今の世の中であれば、「いじめを題材にしていてよくない。」などと言われそうな内容です。そういう感想を持つ私自身、昨今の「いじめはよくありません。」狂騒に悔しいかな気持ちが踊らされているように思えます。小さいもの、弱気ものが大きなもの、強気ものから圧力をかけられる。これは、力関係というものが存在する社会では致し方ないこと。圧力をかけられた小さいものが、毅然と立ち向かってその対処法を考えなさい、そして、ずるい輩は必ずいるけれど、勇気を出して対処すれば、よい方へ向くはず、ということを伝えたかったのかな。かなり、道徳的な作品だ。


へそもち

へそもち
渡辺茂男 さく
赤羽末吉 え
1966.8.1.
1977.8.1.

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「雷が鳴っているときにおへそを隠しなさい」と言われた記憶がある。昨今言われる、ゲリラ豪雨とは全く違う降り方ではあるが、夏の夕方には、雷がごろごろと鳴り始めると、そのうち夕立がやってきて、夕立がやってくると、そのあとは、夕涼みが楽しめて、浴衣に着替え、ひと時、花火を楽しむ時間になったものだ。夕立があった日には、夜が少し涼しかったということも覚えている。
こんなことを言われた理由を想像すると、お昼寝をしている時間帯が、雷様がやってくる時間帯と重っていたのだろうか。そして、お腹を出して寝ると冷えるからいけませんよ、というよりも、雷様の恐ろしさに頼った忠告でもあったのかな、と想像する。
それにしても、避雷針の有効性の原点が、この物語にあるお坊さんの機転による発見だったとすれば、お坊さんあっぱれである。気になるのは、へそを取られた人たちに、へそもちをつけてあげて元通りにしてあげたのかどうか、ということ。

くちばし

くちばし
ビアンキ さく
田中かな子 訳
薮内正幸 え
1965.10.1.
1982.3.1.


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鳥のくちばし図鑑と言える絵本です。鳥にはそれぞれ、その鳥の生態に合ったくちばしがあって、くちばしは口という役割だけでなく、餌を取るときなどにうまく道具として使っているのですよ、ということを物語という流れの中に取り込みながら教えてくれています。一番最後があっけなく、そのあっけない一場面では、弱肉強食という自然界の厳しさを伝えるもので、再読だった今回ですら、その場面を見た瞬間はいったい何が起こったのかわからず、理解するのに一瞬立ち止まった感じになりました。そう、冒頭からこの絵本の主人公であった小鳥が猛禽類の大型の鳥にさらわれてしまいます。物語は、昔話にあるであろう手法の一つが使われていて「…というわけで、このテーマの決着はいまだについていないのです」で終わっています。おそらく、この絵本が鳥に興味を持つきっかけになる人もいるのだろうな、という構成。私の場合は、なるほどねと淡々と通過していく感じ。

100ぴきのひつじ

100ぴきのひつじ
小野寺悦子 さく
樋泉雪子 え
1985.10.1.

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表紙絵の中に主人公が隠れていることに今回やっと気が付きました。しかも逆さまから見たときに。
夜、眠れない時にひつじを数えるおまじないは、いつ頃から、そして、何処から始まったものなのでしょう。確かに、あのもふもふしたものに囲まれれば、夢の中にどぼんと埋もれて行きそうではあります。でも、いつも枕に頭を付けると同時に意識が落ちるので、ひつじを数えたことがなく、こんなことが本当に起こるのかどうか試したこともありません。でも、数えた分、ひつじが現れたらきっと楽しいだろうな、と想像するとにんまりしてしまいます。ただ、100匹もいると多すぎてうるさそう。それにこのもふもふ感。真冬ならいざ知らず、真夏には遠慮したいです。ひつじ君たちが現れた後に待っている楽しそうだけれど大変そうな労働を考えると、10匹位が無難な数。そのくらいであれば、年に2回位、こんな夜があっても楽しいのではないかと、期待してしまいます。

ぐりとぐら

ぐりとぐら
なかがわりえこ さく
おおむらゆりこ え 
(やまわきゆりこ)
1963.12.1.
1975.4.1.


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「ぼくらのなまえは ぐりとぐら ぐりぐら ぐりぐら」の歌が脳内に心地よく響く大好きな絵本。日本生まれのネズミが主人公の絵本は!?と問われれば、多くの人が挙げるであろう「ぐりとぐら」。絵本の中の料理を紹介する本にパンケーキが登場すればきっとあの場面が紙面に広がる「ぐりとぐら」。がりやげらではだめで、ぐろやぐるも変。生真面目に感想をしたためようとしたときに、「ぐりとぐら」という音の組み合わせが絶妙なのだということに気づきました。この絵本に初めて出会ったのは、小学校に上がってからのこと。これほどこの絵本が好きになったのは、思考が幼すぎたのか、それとも、外にフライパンを持ち出してこんがりとホットケーキが焼ける匂いを漂わせながらみなに料理をふるまう場面に憧れたのか、あるいは、仲の良い兄弟の存在がうらやましかったのか、と思いは果てしなく広がる。様々にある場面の中でのお気に入りは、卵の殻を利用する帰り道かな。

だるまちゃんとてんぐちゃん

だるまちゃんとてんぐちゃん
加古里子 さく/え
1967.2.1.
1977.9.1.

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「だるまちゃん」シリーズの1冊で、シリーズの中でも“好き”に分類され、子どもの頃、何回も繰り返して読んだ絵本。今回は、意識的に絵にも目を配り、だるまちゃんのおじいさんであるだるまどんの足にすね毛が生えているのを見つけて声が出るほど驚きました。すね毛に気付いたのが、中盤に差し掛かったところで、わざわざ最初のページまで戻ってだるまどんのお姿をすべて確認いたしました。だるまどんのことは、だるまちゃんとお話ししている場面が多いので、必ず視界に入っていましたが、いつも上半身にしか目が行っていなかったようです。そのほかにもだるまちゃんと妹の手足は白くてぷくぷくして、おもちみたいな感じだったのには気がついていたのに、他のだるまさんたちは、年代によって色合いが違うことも発見。いくつものアイテムが出てくる団扇、履物、帽子そして、“おはな”(花)については、ここまで数をそろえて下さっただるまどんに感謝です。

きかんしゃホブ・ノブ

きかんしゃ ホブ・ノブ
ルース・エインズワース 作
上條由美子 訳
安徳 瑛 画
1985.8.1.


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この絵本を過去に読んだという記憶がない。私の手元にやってきた時期は、奥付にある出版年。すでに学生時代のことなので、買い求め後、本棚に直行していた可能性がある。その時の感性で読んでいれば、また違った思いもあっただろう。なんとももったいないことをしたものだ。そんなわけで、この読書日記を書くのは少々苦労が伴っている。何せ子ども向け絵本特有の「同じことが淡々と繰り返されて」進行するお話しだから飽きるのだ。佳境で子どもたちはここで興奮するのだろうな、と想像に難くない場面がやってくる。
ではなぜ期待を込めて絵本を開けられたのか。それは、この表紙絵と「ホブ・ノブ」という機関車の名前のおかげ。機関車が、ヨーロッパの田園風景にいい感じで溶け込む色合いと形をしていて、ぽわ~っと音を出しながら元気よくゆったりと走る姿と石畳が敷き詰められた駅前広場を抱える街の駅舎に滑り込む姿が脳内で再生できたのだ。絵力凄しである。

ねずみおことわり


ねずみおことわり
中谷幸子 あん
小野かおる さく・え
1965.9.1.
1976.9.1.


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日焼けして真っ黒になった子どもたちや、夕立の場面が盛り込まれているお話しは、小学生の頃、夏休みに通った学校の水泳教室や市営プールのことが思い出される絵本です。子どもの頃に読んでいた時は、ネズミたちがプールの入場料を支払うために使ったビー玉が素敵だなと思っていました。自分の宝物として隠してあるのが揃ってビー玉というところは不思議でしたが、ガラスなのにまん丸で、つるつるしていて、夏にぴったりのビー玉は、ネズミが見ても宝物にするくらい素敵なものなのだな、と思ったものです。そして、今回の読み直しでもその部分が一番好きな場面でした。裸は駄目よと言われ、洋裁のできるネズミさんのところにお邪魔して、自分たち用の海水パンツを仕立てる場面はもう一つの好きな場面。共通しているのは、ネズミが洋服を仕立てるというところだけですが、ピーターラビット・シリーズの「グロースターの仕立て屋」のネズミたちを思い起させます。

ぐるんぱのようちえん

ぐるんぱのようちえん
西内みなみ さく
堀内誠一 え
1965.5.1.
1973.11.1.


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「ぐるんぱ」という名前がすごい。音感だけでなく、ぐるん!っぱ!って動くこともできそうだし、ぞうの名前というところもすごい。そして、絵。ぞうさんって巨大だよ、ということが一目瞭然でわかる表紙絵。巨大だけれど怖くはない。力持ちだろうけれど、優しそうな雰囲気が、絵全体からあふれています。
この絵本が好きになった理由はわかりません。何度でも読みたい、手に取りたいと思うこと、それが、すなわち好きだ、ということしか言えません。
心構えも新たに再読。お、と思ったのは、「しょんぼり」という言葉。行く先々でぐるんぱサイズのモノを作るので「君のことは雇えない」と言われ、すごすごと退散。そのときの様子を表す言葉が「しょんぼり」。「がっかり」だと疲労が蓄積される感じがあるけれど、しょんぼり、だと、淋しいなという気持ちの方が強調されるのかもしれません。何よりの魅力は、しょんぼりが続いた後の、楽しいどんでん返しでしょう。